当たり前の話。
ノベルゲームとTVアニメは別のメディアである。
だからこそゲームのアニメ化の際には脚本のアレンジが必要である。
大胆な動き、より多くのカメラワークという要素が入る分、元の脚本そのままでは同様のニュアンスを伝えることができないからだ。
だからこそ、アニメ化の際には作品(特に脚本)に制作者の意図が大きく反映される。
アニメはゲームより、ヴィジュアル面において視聴する側の解釈の幅が小さく固定される。だからゲームにおけるシナリオのニュアンスの解釈の一つとして、アニメ制作者の解釈が提示されるものだ、と言える。
京アニによるKey作品(ゲーム)のアニメ化が一定の評価を受けているのは、ゲームプレイヤーの解釈として最大公約数に当たるニュアンスをほぼ過たず再現してみせるからだと考えられる。
だからこそ、ゲームをプレイした時に、人並みの解釈のみをしていたキャラクターについては、アニメ化された際に非常にしっかりとリファインされている印象が起きてくるわけである。
今回の杏の涙の演出は非常にしっかりしていてよかった。
ゲームの際の杏の涙は、過剰な演出に設定、シナリオが負けていて、感情移入しずらい面がありました。
そう。杏という女の子が涙を見せるんだったら、今回のような状況の方がしっくりとくるんですよね。
テニスボールが当たって倒れた渚にテニス部員がさしのべた手を、朋也が遮った。普段の朋也にはない剣幕を見せた。
保健室へ渚を連れて行く朋也を見やり、立ちつくす杏。
そして、椋がぽつりと言った。
「おねえちゃん、今まで、ごめんね」
杏は椋を見つめ、そして、眼をそらし、涙を流した。
自分がヒロインになれない、と自覚した瞬間、杏は自分がヒロインになりたいと心のどこかで願っていたことに気付いてしまった。
そして、椋がそれをずっと知っていたことに気付いてしまった。
だからこそ、ほとばしる想いが、涙あふれて止まらなかったのだ。
ごく自然に流れる涙。それをこらえようともしなかった彼女は確かに杏だった。
恋愛に対して不器用であるからこその、この杏の涙には心を打たれました。
同時に椋の方は、姉に対する感謝というニュアンスが見せた涙に含まれて、性格と立場の違いがきっちり表現されていたな、と思いました。
さらに智代は泣くことはせず、ただ、空を見上げていた。
これも、いかにも智代らしくてうまいと思いました。
このカットの少し手前で、渚と朋也の関係を悟るところがあったんですけど、智代は絶対に恋愛で自分を前面に出そうとしないタイプなんですよね。ある意味、人間としてより完成されているのですけども、自分主導で恋愛は出来ない人ですよね。
あれ……ことみは?
そう。ここで、他の人間と違って、ことみは朋也と渚の関係について
「全く気付いていない(爆)」という演出なんですよね。
いや、それは違うだろ、と言いたい。朋也についてはことみはかなりセンシティブであるはずだよ。
下手すりゃもう一度倒れるくらいのショックがあっても不思議じゃないぐらいだと思うのですが……。
そこは、制作者と私とで思い切り解釈が食い違っているようですね。トホホです。
今回、停学中の朋也に料理をつくって持ってくることみは、いかにもことみで逆にせつなかった。空気を読まずに、前の晩から下ごしらえをしてがんばってつくったことを主張するあたりが、いかにもことみらしい反応でかわいかった。かわいかったんだけどなぁ……。
はぁ……(溜息)。
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